大人気ライトノベル『宮中は噂のたえない職場にて』の作者・天城 智尋先生のトークイベントを実施しました!
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2025年1月19日、『宮中は噂のたえない職場にて』の作者・天城 智尋先生をお招きして、入学予定者を対象にトークイベントを開催しました。
天城先生はKADOKAWAマンガアカデミーの前身である姉妹スクール、バンタンゲームアカデミーのノベル・シナリオライター専攻の出身です。
小説家を目指した理由、バンタンを選んだ理由、在学中の生活、デビューまでの経緯など、気になることを全部お聞きしました。
■家族の影響を受けて、小説家を目指す
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天城先生は大学に進学後、社会人経験を経て、2016年にバンタンゲームアカデミーに入学。
デビューした当初は小説家として執筆しながら、会社員としてゲームシナリオを書くという兼業だったそう。
しかし、現在では専業の小説家として活躍されています。
天城先生が小説家を目指すきっかけは、生まれ育った家庭環境にあったそうです。
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「両親だけでなく、父方の祖母もやりたい仕事に就いて働いていたことから、働くことが漠然と人生設計にありました。小学生の頃、祖母が定年を迎えて退職せねばならず、『なぜ、望んでその職業に就き好きで働いているのに辞めなければいけないのか』と疑問に思ったことを覚えています。そんなとき、小説家は定年を設けられていないことを知り、『小説家になれば、死ぬまで仕事をできるんだ!』と思いました。」
加えて、両親が大の漫画好きで家中にさまざまな漫画雑誌があったこと、SFのアニメや映画をたくさん観ていたこと、年の離れた弟が生まれるまでミニカーや人形ごっこなど、一人遊びをしていた時間に自然と物語を作っていたことなどの経験も重なり、小説家を目指したとおっしゃいます。
■充実した学生生活のおかげで、得られたものが多かった
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社会人生活を送りながら小説を書き、新人賞に応募していたという天城先生。
なぜ改めて専門学校へ進学することを決め、その中でもバンタンゲームアカデミーを選んだのでしょうか。
「新人賞に応募しても、2次、3次選考までしか進めず、誰かに講評してもらえる環境が必要だと感じていました。通信講座を受講したり、カルチャースクールに通ったりしたこともありましたが、その結果、プロを目指すにはより良い環境が必要だということがわかったのです。専門学校に進学するにあたり、他校も見学しましたが、シラバスを見せてくれたのはバンタンだけでした。プロになるための道筋をきちんと示してくれることへの信頼がありましたね!」
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講義で印象に残っていることを聞かれると、授業で行ったテーブルトークRPG(テーブルを囲み、コンピュータやゲーム機などを使用せず、会話をしながら遊ぶRPG)を挙げました。
「その職業に必須のスキルを持たずにプレイを始めたクラスメイトがいたんです。そのせいで大ピンチに陥るという経験をしました。それから、キャラクターにはそれぞれ期待される役割があることを意識し始め、キャラクター造形につなげることができました。」
そのテーブルトークRPG後に取り組んだ"短編小説を書く"という課題もまた、印象に残っているそうです。
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「私は川中島の合戦を取り上げた短編小説を書きました。元々歴史雑学が好きだったのですが、このときに初めて史実を細かく調べ、さらにオリジナル要素を混ぜました。この経験は今の執筆にも生きています。」
在学中の生活についてお聞きすると「最高の学生生活」と評し、授業以外でも得たものは多いのだそう。
「社会人時代は趣味を共有できる人がほとんどいなかったのですが、在学中は好きな作品を教え合ったり、同じ夢を目指して切磋琢磨できる環境に身を置けたので。」
と、笑顔で話してくださいました。
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講師、担任、学生から勧められた作品は可能な限り触れるようにしていたそうで、「1人だとインプットが偏る。普段、触れないジャンルを知ることも大切!」と強調されました。
年に4回行われる学内審査会での思い出を振り返ってもらうと、
「何度直してもまだ足りないと感じ、毎回ぎりぎりまで苦しんだ。」と苦労をされた様子でした。
一方で、やはり有意義な経験でもあったようです。
「新人賞に応募して、3次選考まで進み講評をもらえたことはありましたが、双方向でコミュニケーションを取り、作品を良くするまでには至りません。学内審査会は貴重な機会なので、毎回提出することを心掛けました。」
その際に経験した『講師に相談しながらプロットを作り、書き始める』という執筆方法は、プロの小説家と編集者のやり取りに近く、プロとしての執筆体験にもなったとおっしゃいます。
■行動が実を結び、遂にプロデビュー
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天城先生がプロデビューを果たすきっかけとなったのは学内コンペでした。
そのコンペで提出するのは、たった1枚の小説の企画書。その企画書が通れば執筆ができ、デビューができるという流れでした。
「そのデビュー対象となるレーベルの既存作品と、他社の類似の作品を読み、1枚の紙に収めるべき要素と削る要素を研究しました。」
その努力の甲斐もあって企画書が通りましたが、担当の編集者が多忙であったことから執筆と出版はかなわず…。そのうちに、天城先生の企画と方向性の近い作品が世に出たことで、企画はなくなりました。
ところが、ここで諦めないのが天城先生のすごいところ。
再度企画を立て、出版社とアポイントメントを取り、『後宮の花は偽りをまとう』を出版されました。
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「この作品は1巻で終えるつもりで書いていたので、2巻の打診とコミカライズのお話がほぼ同時に来たときは驚きました。そうなると、シリーズ化するというテクニックも必要になり、また別の難しさを感じました。」と、当時の状況を話してくださいました。
天城先生はデビュー後、専業の小説家になるまではゲームの制作会社でシナリオを執筆されていましたが、なんとその会社は、バンタンゲームアカデミーの講師が代表取締役を務める会社だったのです。
「バンタンに入学してプロになるための道筋をたどったり、コンペなどを通じてプレ体験などをできたりといったことも貴重な経験ですが、人との縁を得られたことも大きいですね。」
にこやかな表情でそのように締めくくった天城先生。
いただいたお話から、充実した学生生活と不断の努力をうかがい知ることができました。
これから当校で学ぶ学生のみなさんも、ぜひ天城先生のようにたくさんのことを吸収してくださいね!
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